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東京地方裁判所 昭和41年(ワ)1950号 判決

理由

被告が訴外関東樹脂工業に対する債務名義を以つて、本件物件に対し昭和四〇年九月一一日及び一三日に差押えの強制執行をしたことは当事者間に争いがない。原告は右差押にかかる本件物件がいずれも原告の所有であると主張し、被告はこれを否認する。

よつてみるに、原告は昭和四〇年九月三日現在訴外関東樹脂工業及び宮長勇に対し合計金二七三万円の貸金債権を有し、同日原告と右訴外人等との間で締結された譲渡担保契約により本件物件を含む諸物件の所有権を取得したのであると主張し、右主張にそう証拠として、甲第二号証(公正証書)、同第三号証の一、同第三号証の二の一ないし三、同第三号証の三ないし八(借用証、約束手形、小切手等。その成立は証人宮長勇の証言(第一回)から明らかである)、《その他証拠》が存在している。これらの証拠に《他の証拠》を合せ考えると訴外関東樹脂工業は昭和四〇年四月頃から経営状態が悪化し、同年八月頃からはいわゆる自転車操業の状態になつていたところ、同月二七日、原告呈示の右訴外会社振出の額面二〇万円の小切手(甲第三号証の三)が不渡となつたので、原告は右訴外会社及び訴外宮長勇に対する爾余の債権回収に対しても、他の一般債権者に先がけてその確保を図る必要を感じ、右宮長勇(関東樹脂工業代表者)らを説いて、右訴外会社の財産、宮長勇の個人財産で残つているもの全部を譲渡担保に供することを承諾させ、右宮長らにおいて本件物件を含む会社財産並びに右宮長の家財道具一切を書き出し同年九月三日原告と右宮長勇との間で右物件全部を原告の債権担保のため譲渡担保に供する契約を締結し、同日その旨の公正証書(甲第二号証)を作成したようにいちおう認められる。

しかし、右公正証書には原告の債権額が金二七三万円と記載され、甲第三号証の一(但しこの借用証の額は金二五万円であるが、《証拠》によればうち金一七万円は弁済済であるという)、同号証の二の一、同号証の三ないし八記載の金額の合算額もこれに符号するのであるが、右甲第三号各証によれば、うち金二六五万円が訴外関東樹脂工業の債務と目すべきところ、他方《証拠》によると同訴外会社の原告に対する借受金債務は金一四五万円位であるという。辻伝次は右訴外会社が倒産するまで同社の経理担当社員であつた者、重森亮も同社社員であつた者であるから、これらの証言も無下に排斥し難い。而して右譲渡担保に供した物件の価格は《証拠》によるも金二〇〇万円を下らぬと認められるから、ここにおいて、原告と右宮長勇とは右譲渡担保物件の価格ににらみ合せて原告の債権額を水増しし、証拠をこれに合わせたのではないか、という疑念を生ずる。

そればかりではない。《証拠》によれば訴外関東樹脂工業が支払を停止したのが昭和四〇年九月四日、銀行取引停止処分の通知を受けたのが同月七日と認められるから、右原告と訴外関東樹脂工業、宮長間の譲渡担保契約は正にその直前に締結されたものであり、《証拠》によれば、手拭一本、サンダル一足、コツプ一個などにいたるまで担保物件として克明に記載され、あたかも会社及び宮長の家財道具を細大もらさずかぞえあげた観がある。このようなことからみると、右担保提供がいかに原告の「全財産を提供してほしい」との希望にそつたのだとしても、宮長勇はむしろ進んで会社及び個人財産の全部を原告にゆだねようとした姿勢が看取される。倒産直前まで全く無担保で一〇〇万円を超える金員を貸してきた原告がいかに事前に関東樹脂工業の倒産を察知したとはいえ、会社及び宮長個人の全財産を布団、食器類にいたるまで何もかも取りあげたというのも、またそれに宮長が進んで協力したというのもいささか不自然である。これらを綜合考察するときは、右譲渡担保契約は原告と訴外関東樹脂工業及び宮長が被告ら他の一般債権者の執行をとりあえず排斥することが原告にとつても右訴外会社及び宮長にとつても利益であつたために、原告の債権額を実際以上に多くあるように見せたうえ締結されたとみるのが自然であつて、右契約当時は未だ本件物件を含む右契約の対象となつた諸物件の所有権を真実右訴外会社及び宮長が原告に移転し、原告がこれら訴外会社及び宮長個人の財産全部の所有権を右契約と同時に即時取得するまでの意思は双方とも有しなかつたと認めるをむしろ相当とする。このような認定に反する趣旨の《証拠》は措信しない。

そうすると、右譲渡担保契約により原告が本件物件の所有権を取得したことを前提とする原告の本訴請求は、被告のその余の抗弁を判断するまでもなく、理由がないというべきであるから、これを棄却

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